100辞書・辞典一括検索

JLogos

20

上姉川村
【かみあねがわむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。中地江川(犬童川)流域の平坦地で東部に堀が広がる。南北に境原道が通じ,往生寺橋より東に横武村を経て神埼宿への支道と,西に分かれて若宮村へ通じる支道がある。佐賀本藩領。尾崎郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」とも小村に五ノ折村が見えるが,ほかに小村として,小路村・田代村・中古賀村・境古賀村・古賀村・中島村・下馬口村・八ノ折村・二ノ折村がある(御領中郷村帳)。「玄梁院様配分帳」では中島春太夫の地米高82石余,岩村郡右衛門の地米高78石余,南部大七の地米高37石余,ほか3名の知行地。「大小配分石高帳」では岩村右近の地米高65石余ほか3名,上姉川上分村として中島新八郎の地米高80石ほか9名,上姉川下分として土山左内の地米高75石ほか11名,上姉川東分として多久勘助の地米高10石,江副忠兵衛の地米高9石余の知行地がある。蔵入地も設定されており,天保9年の地米高15石(御蔵入地米郷村附)。村高は「天明村々目録」では823石余,「天保郷帳」では844石余,「旧高旧領」には見えず。寛政4年閏2月伊賀屋村・中野吉村との間に二ノ折境界井樋で用水争いがおきた。姉川側が井樋を取り外すなどの紛争があったが同年3月御普請方により解決がはかられ,もとどおりに修復して和解した(神埼町史)。寺院に了啓開基の曹洞宗本影山妙法寺,文禄元年乗空開基の真宗西方山往生寺がある。妙法寺は姉川氏の菩提寺であったが,明治以後次第に衰退し廃寺となる。神社に天満宮があり,棟木に「尾崎郷上姉河村天満宮宝殿一宇再興銘云大檀那松平丹後守本願妙法護国禅寺」とあり,妙法寺は別当であった。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」には姉川村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」には姉川村のうちに上姉川上分・上姉川下分と見え,戸数・人口は上姉川上分42戸・217人,上姉川下分26戸・129人。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216503