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上賀瀬村
【かみかせむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。佐賀郡のうち。佐賀平野中央部,嘉瀬川下流東岸に位置する。佐賀本藩領。嘉瀬郷に属す。村高は,「正保国絵図」では加瀬村として707石余,「天明村々目録」では707石余,「天保郷帳」では721石余,「旧高旧領」には見えない。はじめ多久氏の知行地であったが,元和7年からは佐賀本藩の蔵入地となった。長崎街道をはさんで南の下賀瀬村と接する。「宝暦郷村帳」には津方として嘉瀬上町の名が見え,下賀瀬村とともに河港嘉瀬津の一部をなしていた。嘉瀬川に架かる橋の東側には仕置場があり,磔台が道から眺められたという(ケンペル:江戸参府紀行)。文政8年10月27日に行われた処刑には,2万人の見物人が集まり,死者10人・負傷者30人を出す事故が発生している(野田家日記)。日蓮宗妙福寺にある千人塚は,はじめ刑死者の霊を弔うために仕置場にあったものを,嘉瀬川改修時に同寺に移したものである。ほかに鬼界島へ流された僧俊寛を開基と伝える臨済宗南禅寺派法勝寺,浄土真宗西本願寺派浄円寺がある。教育機関として,横田兵蔵によって嘉瀬津私塾が開かれていた(新佐賀市史3)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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