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上藤ケ里村
【かみふじがりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。筑後川の支流田手川中流域に位置する。佐賀本藩領。下東郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに822石余,「天保郷帳」では859石余。「旧高旧領」には見えない。給人・地米高は「大小配分石高帳」では鍋島山城125石余・関千左衛門25石・田原源兵衛16石余・関口形左衛門5石余。北は箱川村,南は下藤村,西は甲馬手(こうのまて)村に接し,東は郡境をなし三根(みね)郡前牟田村に接する。下板村境より豆田村に至る幅6尺の神埼道が南北に走り,西の本堀村と東の前牟田村に通じる支道がそれぞれ分岐する。観音堂を元標とし,田手村へ25町,豆田村へ20町,寄人村へ20町,下板村へ23町,境原宿へ1里25町2合の里程である(神埼郡村誌)。江戸後期の神埼郡下郷箱川村図によれば,神埼道を挟み東に18軒,西に9軒の家並みがみえ,道に沿って若宮社・観音堂・大神宮・御蔵・墓地などがある。天神堀には土造の,長さ2間半・幅6尺の土藤橋が架かる。鎮守は仁徳天皇を祭神とする若宮神社で,境内には天保14年の毘沙門天像がある。「明治7年取調帳」では箱川村の枝村として見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216551