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上山口村
【かみやまぐちむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。佐賀本藩領。横辺田郷に属す。御岳山麓に位置し,東西に長崎街道が通る。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」では218石余,「天保郷帳」では281石余。「旧高旧領」では見えない。給人・地米高は「大小配分石高帳」では,多久長門69石余・有田伝蔵9石余・中山小忠太25石。享保6年の田数12町8反余(多久美作私領田畑屋敷町別改帳)。弘化3年の田数17町2反余,地米155石(諸村蔵入配分地巡見方石寄帳)。文政6年の戸数43・人口177うち男93・女78,僧4・社人1・山伏1,馬10匹(丹邱邑誌)。中世以来,瓦が焼かれ,その祖は土元岸川世別当と伝える(江北町史資料)。曹洞宗竜沢寺は正平13年佐賀郡春日の玉林寺真宗禅師の開山で,末寺20数寺を有し,多久氏の菩提寺の1つで,寺領地米高10石を領す(配分侍地方一覧)。ほか竜沢寺末寺の東照寺,浄土真宗本願寺派善福寺がある。鎮守は門前に天子社,土元に土元天満宮。当村は多久(たく)へ通じる南の入口に当たり長崎街道と接した。長崎街道筋には「肥前の食い倒し」と称される,うどん店,酒店などが軒を並べていた(西遊雑記)。「明治11年戸口帳」によれば,山口村のうちに「上山口村」と見え,戸数61・人口278。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216563