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上杠村
【かみゆずりはむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。上杠山村ともいう。背振山地,高瀬川流域に位置する。佐賀本藩領。奥山内に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに410石余,「天保郷帳」では473石余,「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に詰ノ瀬村・薙野多尾村・森ノ木村・原村がある。弘化3~4年にかけて2町5反余の新田開発が行われた(新水道次第)。曹洞宗迦葉山清流寺は杠日向守によって創建され,開山を明園和尚とし,敷地7畝12歩,地米3斗5升,山林1町5反が与えられていた(迦葉山清流寺文書)。なお明園を明円とする説もある(神埼郡村誌)。至徳3年創建と伝える曹洞宗功徳山竜護院は天文年間に杠日向守が再興し(同前),陽富融徳を開山とする(三瀬村誌)。宮ノ口にある乙宮(おとぐう)神社は嘉吉2年杠日向守が淡路国の弓弦葉権現を一族の氏神として祀ったものと伝える。また詰ノ瀬には室町中期のものと伝えられる六尊六地蔵塔がある。「郷村区別帳」では枝村に下杠山があり,反別140町余。「明治11年戸口帳」によれば,杠山のうちに「杠上分」と見え,戸数70・人口290。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216564