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岸岳城
【きしたけじょう】


東松浦郡北波多(きたはた)村大字岸山・相知(おうち)町大字佐里にあった城。北波多村・相知町境にある岸山(320m)の山頂に築かれた山城。200m以上は四周が急崖をなすので天然の要塞といえよう。頂上からは松浦川・徳須恵川流域とさらには唐津(からつ)湾を望むことができる。「松浦家世伝」によれば,松浦郡宇野御厨検校源久の次男持(たもつ)が三男勝の所領波多郷を分与されて独立した際に築城したといわれる。その際波多城(北波多村稗田)・島村城(北波多村徳須恵)・青山城(唐津市山本)・山崎の支城と築いた。持は波多氏を改め,戦国末期の17代三河守親まで続いた。この間15代波多下野守興は文明4年壱岐を手中に収め,上松浦における松浦党の有力者になった。しかしその子壱岐守盛が嗣子のないまま没し,その継承問題で争いになったが,結局弘治3年に有馬仙岩の次男藤童丸(のち三河守親)が城主となってけりがついた。その後波多氏と竜造寺氏は抗争・和議を繰り返した。天正15年秀吉の九州進攻征伐の際,波多氏は島津氏と通じていたため参戦しなかった。また朝鮮出兵に参加したが臆病者として文禄2年城と所領は没収され,翌3年筑波山麓に流された。その所領地は唐津藩初代藩主寺沢志摩守広高の領地となり岸岳城は廃止された。遺構としては本丸・二の丸・三の丸周辺に空濠跡が,また石垣も残る。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216677