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北村
【きたむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。佐賀郡のうち。嘉瀬川中流の東岸に位置する。佐賀本藩領。上佐賀下郷に属す。「宝暦郷村帳」では小村に寺の前(寺前村)があり,「天明郷村帳」「文化郷村帳」ではともに小村に五領・馬場がある。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに543石余,「天保郷帳」では586石余。「旧高旧領」には見えない。南部に位置し,水田地帯である。五領はもと宇佐八幡宮の神領で,御領と称したものが転じたものという。元和元年成富兵庫茂安はこの地に井樋を築造した。これを石井樋と称するが,佐賀城下や城下周辺の与賀・鍋島・川副へ飲用・灌漑,その他用水を嘉瀬川から取水するための石閘である。この工事は,多布施川の築堤のそれとともに彼の治水土木技術の水準の高さを表しているといわれ,明治24年には彼の業績を顕彰した「成富君水功之碑」が建てられている。神社には印鑰社(大国主命)がある。印鑰社は諸国国府跡近くにあるといわれるが,当地の印鑰社は,国府以外の郡家・郡倉・軍団・駅家などの古代施設に関係ある印鑰社か,宇佐八幡宮に関係ある印鑰社かは不確定である。行事では灌仏会(4月8日)・大般若(1月・5月)が行われている。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では尼寺村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,尼寺村のうちに「北村」と見え,戸数82・人口352。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216720