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北山村
【きたやまむら】


(近代)明治22年~昭和31年の小城(おぎ)郡の自治体名。上無津呂・下無津呂・麻那古・中原・大野・大串・栗並・上合瀬・下合瀬・古場・藤瀬の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11大字を編成。当村成立時に役場を中原に設置,明治29年6月下無津呂に移し,さらに同34年1月中原に再移転し,新庁舎を同38年に建築。当村は郡の北端に位置し,南は南山村・佐賀郡小関村,北は福岡県,東は神埼郡三瀬村,西は東松浦郡七山村と接する。「小城郡誌」によれば,東西3里21町余・南北2里24町余,地勢は山岳が重なる山村で,5,000町歩の原野は植林に適し,2,000町歩(うち1,000町歩は官有林)の森林を最大の富源として生業を営む。しかし,耕地も豊饒で,500町歩の水田と200町歩の畑を耕作するとある。また,中原には村役場・巡査駐在所・郵便局・営林署出張所などの官衙および北山小学校・北山公民学校・家政女学校などがあり,古場には北山第二小学校・第二公民学校があると記す。さらに地内中央の中原公園には,当村開発の恩人故上滝空蝉翁の頌徳碑があり,公園の南側に春日神社が鎮座するとある。大正13年8月18日,十八夜祭の日に中原は大火災に見舞われ,役場や学校の建物も全焼,小学校は上無津呂分校や各地の寺院などで分散授業を行った。昭和5年の世帯数778・人口3,938。昭和初期,中原に北山自動車株式会社が設立され,ここを起点として佐賀市および唐津市間を乗合自動車が走行していたが,のち昭和自動車株式会社に吸収された。昭和31年小城郡南山村・佐賀郡小関村と合併,佐賀郡富士村の一部となる。村制時の11大字は富士村の大字に継承された。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216721