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木塚小路
【きづかこうじ】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の通称地名。佐賀城下の武家屋敷地。佐賀城の北東に位置し,紺屋町の東側にかぎ状に屈折する。北は小川を隔てて牛島町に対し,南東に矢矧(やはぎ)町小路がある。元文5年の屋敷帳によると,野田平兵衛ほか5名の武士が居を構え,揚屋敷と称する牢屋もある。弘化2年の総着到によると,鍋島播磨組に属する物成37石の執行権太夫,大木主計組に属する物成40石の鍋島兵之進,鍋島志摩組に属する切米70石の出雲平四郎,同組の切米27石の藤山久太夫,深江六左衛門組に属する物成120石の深江吉十郎,同組の20石の白浜嘉右衛門,鍋島左太夫組に属する切米20石の千々岩勇吉,石井勘解由組に属する切米20石の石井英次郎,成富十右衛門組に属する切米9石の深堀卯右衛門の9名がいる。平均石高は40石余。寺院は浄土宗常福寺,天台宗宝蔵寺があったが,後者は現在そのあとをとどめていない。明治初年に田代小路のうちに含まれるようになった。現在は東佐賀町の一部となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216725