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玉林寺
【ぎょくりんじ】


佐賀郡大和(やまと)町大字久池井(くちい)字出羽にある寺。曹洞宗。太陽山と号す。本尊は薬師如来。永徳2年郡主鑰尼信濃守季高の創建。無著妙融を請して開山とする(玉林寺文書/佐史集成5,鎮西志)。本尊は覚鑁上人作といわれる薬師如来。山門の四面に十六羅漢を安置する。無著は永平寺開山道元7世の法孫に当たり,鑰尼季高の請によってこの地に寮舎を構え,弟子の養成にあたった。後小松天皇により勅願寺にあてる由の綸旨および玉林禅寺の勅額を賜う。のち紫衣の道場として,曹洞宗の僧出世転衣などの事を当山において執行するに至る。しかしその後火災に遭い,堂宇什物のことごとくが灰燼に帰した。天文11年後奈良天皇より重ねて綸旨と「玉林禅寺」「祈祷」の勅額を賜う(玉林寺文書/佐史集成5)。両朝の勅願所を以て,代々寄付の寺領は少なからず,創建時の永徳2年に九州探題今川了俊,肥前目代今川仲秋により最初の寺領が施入され(鎮西志),次いで至徳3年今川仲秋が15町の田地の寄進を行い(九州治乱記),室町期の至徳・明徳・元亀などの年代には寄付の寺領は60余町に及んだという。永禄12年3月大友氏の当国乱入の際兵火にかかる(県災異誌)。その後鍋島藩政期に至り,慶長年中藩祖鍋島直茂は田地寄付の御印を下し,国家安全の祈願寺と定める。文禄・慶長の高麗御陣の際祈祷の功により,秀吉の軍営であった名護屋城の一部を移して客殿とした。元和8年初代佐賀藩主鍋島勝茂,寺領石高46石余を知行せしめて当国の祈祷寺に定める。現在の本堂は名護屋城の用材で改築したが,元文2年12月に再度山門と鐘楼のみを残して焼亡した(県災異誌)。なお当寺には室町~江戸初期にわたる古文書21点および,南北朝期(正平~建徳年間),肥後満光寺で書写された大般若経600巻を所蔵する。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216750