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桐野村
【きりのむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。鬼ノ鼻山東北麓に位置し,集落は谷あいに階段状に形成され,その前面に多久(たく)盆地に向かって扇状に耕地が展開している。佐賀本藩領。下多久郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに69石余,「天保郷帳」では79石余,「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ではともに1村として記されている。「丹邱邑誌」によれば「桐野村ハ古ハ牟田辺村ノ内ナリ」とも見え,文政6年の戸口は34戸・130人,僧6。寺院には肥前の延暦寺ともいわれる古刹の天台宗桐野山妙覚寺がある。「肥前古跡縁起」によれば,聖武天皇の勅願によって行基が開基したという。境内には寛延年間の諫早(いさはや)騒動で処刑された26人を追善した供養塔があり,諫早塚と呼ばれている。また,集落の東の丘陵地には皇塔(おおやけのとう)と呼ばれる五輪塔があり,聖武・恒武・平城の3天皇を奉祀するために妙覚寺が建てたものという(丹邱邑誌)。ほかに日吉山権現・御東権現がある。特産物として,上質の麻苧・櫨がある。桐野山は多久氏の狩倉山でもあった。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では当村はともに下多久村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,下多久村のうちに「桐野村」と見え,戸数35・人口137。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216760