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櫛田宮
【くしだぐう】


神埼(かんざき)郡神埼町神埼にある神社。旧県社。祭神は素戔嗚(すさのお)尊・櫛名田比売(くしなだひめ)命・足名椎手名椎(あしなずちてなずち)尊。創建年代は,垂仁天皇の御世と伝えられるが(神社啓蒙),景行天皇の筑紫巡狩の時,この地の荒神に備えて櫛田大神を勧請したところ,霊験があったので,この里を神幸(かんさき)の意をもって神埼というようになったとも伝える(御由緒記)。また,本告政景櫛田社由緒書上案によれば,櫛田大明神は伊勢大神宮の豊受比売命のことであり,地神第1代のときに草創されたが,その後,櫛田荒神となって人民や牛馬に怨をなすようになった。それが,人王第12代景行天皇と対顔の後,肥前国神崎荘に敷地を定め,櫛田大明神を本社として鎮まるようになったと伝えられる(櫛田神社文書/佐史集成5)。当社は神崎荘の鎮守として,崇敬を受けたが,文明19年7月10日付少弐政資書下写などに「肥前国神崎庄高志櫛田白角折三社宮」(櫛田神社文書/佐史集成5)とみえるように,同じ神崎荘の鎮守である高志社,白角折社とともに三社宮,三所大明神とも称された。文久3年鳥羽天皇の勅によって社殿が造営されたが,この時,本告道景,伴兼直(のちの執行氏)が勅使として下向,そのままこの地に永住して本告・執行両家の祖となったと伝えられる。両家はのちに武士化し,三社宮の宮司職を分けもった。永万元年,建暦3年にも社殿が造営されたと伝えられる。元寇の時には「われは異国撃退のために博多津に赴く,宝剣を博多の末社櫛田神社に送れ」という内容の託宣があったために,社人執行次郎兼信以下数百騎が博多防衛に出征した(県神社誌要)。このことについて,永仁3年10月4日付坂田宮内左衛門入道等連署注進状写には「御剣,去弘安七年,本宮神埼櫛田宮之御剣,於為異国征罸,可送于博多櫛田宮之由,依託宣,即被置事云々」とあり,弘安7年に当社から末社の博多の櫛田社へ宝剣が送られている。このこと以来,当社は異賊退散の祈願所としてさらに崇敬を受けた。貞和5年8月一色直氏によって,賀崎郷大野2町,同郷多比良3町,篠熊3町,竹村郷上赤坂7町,山城10町,詫田郷加治5町が免田地として安堵された(櫛田神社文書/佐史集成5)。さらに,貞和6年10月9日足利直冬が禁制を出して,当社を保護,文明2年正月26日には少弐政資が社務職,諸免田などを安堵している(櫛田神社文書/佐史集成5)。しかし,武士によって社領が次第に奪われ困窮した。江戸期には藩主鍋島氏の保護を受け,社領41石2斗が寄進されたほか(県神社誌要),祭祀料・修造費なども支給された。明治4年郷社,同13年県社となった。例祭は4月8日と10月8日であるが,隔年の4月7,8日には神幸祭が行われ,そこで演じられる大神楽は県重文に指定されている。




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「角川日本地名大辞典」
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