100辞書・辞典一括検索

JLogos

14

久治村
【くじむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。有明海の自然陸地化によって形成された地で,杵島山中央から東に位置する。佐賀本藩領。白石(しろいし)南郷に属す。村高は,「天明村々目録」では559石余,「天保郷帳」では643石余,「旧高旧領」には見えない。「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛ほか1名の知行地,「大小配分石高帳」では鍋島安房ほか1名の知行地。鎮守は諏訪神社。寺院は曹洞宗滋眼寺。農村地域で,米麦を主産とし,水利は杵島山麓の嘉瀬川溜池(現白石町)の水を利用。村内には十七の角・十八の角・二十二の角など,古代条里制の坪名にちなむ地名が残っており,畦道や古道・堀割なども条里の地割りと同方向をとっている(有明町史)。なお,当村にはかつて久治国神社があったが,江戸初期秀村に遷座,八坂神社となった(杵島郡史)。久治国神は平安初期の仁寿元年,全国諸神とともに正六位を授かっており(三代実録),鎌倉期正応5年8月16日付の河上宮造営用途支配惣田数注文に,荘園分として「久治国三丁二反」が見える(河上神社文書/佐史集成1)。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では辺田(へた)村の枝村として見え,「明治11年戸口帳」によれば,湯崎村のうちに「久治村」とあり,戸数15・人口67。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216784