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黒髪山
【くろかみざん】


杵島(きしま)郡山内(やまうち)町と西松浦郡有田町・西有田町の境にある山。標高516m。当山の尾根には,青螺(せいら)山・牧ノ山が連なるが,いずれも古い死火山で浸食を受け,怪奇な岩峰の山となり,また牧ノ山と当山の間には,奇岩や岩窟の多い竜門渓谷がある。山の北側凝灰角礫岩の奇岩がそそり立つ雌岩(めいわ)・雄岩(おいわ)付近一帯は,肥前耶馬(やば)渓と称される景勝の地で,黒髪山県立自然公園の一角をなしている。全山が神秘的な形をなし,黒髪のように樹木が鬱蒼と茂り,古来山岳信仰の対象として知られた。山名の由来について「肥前古跡縁起」に「黒髪山大権現,本地薬師如来の三尊聖徳太子御作也。昔天竺の大王我朝に飛来り……権現と垂跡し給ふ,其鬚髪を納め御宝殿の所と定め給ひし故に黒髪山と云ふ」とある。また黒髪神社の由緒記にも「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)より遁れ帰られた時,投げ給うた御鬘が此処に止まったから黒髪山と名づけた」などさまざまな伝説がある。山頂近くに真言宗大覚寺派黒髪山大智院跡がある。寺伝によれば,大同元年唐から帰朝した僧空海がここに滞留し自ら不動尊を刻んで安置し,高弟快護をして1寺を建立せしめたという。はじめ地蔵密院,のち西光密寺,のちまた大智院と称し,代々武雄藩主後藤氏の祈願所となり,黒髪神社と神仏混淆の形をなしていたが,明治3年黒髪神社と分離。同11年火災のため焼失し,小堂宇を建てたが,同39年佐世保市に移転した。現在も小堂宇・礎石・石垣などが残っている。当山は鎌倉期から黒髪権現の名前を許され,修験道の道場となり,修験回峰二十八か所のうちに加えられている(肥陽牛尾山峰中略縁起)。現在も乳待坊(ちまちぼう)・勝学坊(しようがくぼう)・里坊(さとぼう)・目一つ坊・山の堂・滝観音など修験者の住む寺が地名として残っており,乳待坊には昭和初期まで大きなお堂があったという。また,現在も坊付近には八十八夜になると,県内はもとより福岡・長崎からも信者が集まり,小さな石仏や小祠を八十八か所の札所として,順々に回って拝む(黒髪神社宮司)。東山麓の山内町宮野には黒髪神社の下宮があり,山頂近くの洞穴に上宮が祀られている。元禄年間に作成されたといわれる「黒髪山由緒記」に「下宮 宮野の市の上の山にあり,上宮を相去ること三十二町,神殿・拝殿および御供舎・華表など社内にあり。阿弥陀堂 下宮山の中にあり,すなわちこれ本地堂なり。観音堂 下宮山の南にあり,またその本地堂なり。薬師堂 下宮山の東にあり,またその本地堂なり」とあり,明治3年西光密寺と分離するまでは,仏教的色彩が強かった。同神社は,佐賀市の金立神社や有明町の稲佐神社とともに,江戸期から雨乞い祈願社としても知られる。また,鎮西八郎為朝の大蛇退治伝説の天童岩をはじめ,大蛇退治に関するいくつかの伝説があるが,これらは現在も旱魃のときに行われる雨乞い祈願と無関係ではないと思われる。当山は植物の宝庫で,約1,500種の草木があるという。なかでも,昭和2年国天然記念物に指定されたカネコシダをはじめ,クロカミラン・マツバラン・イブキジャコウソウなどは有名で,カネコシダの名は明治39年に発見した金子保平の名にちなむものである。昭和46年,当山一帯の国有林が林野庁から自然休養林の指定を受け,これに伴う整備がなされている。九州自然歩道のコースに含まれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216846