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小路
【こうじ】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の町名。小城(おぎ)郡のうち。佐賀平野北西部,桜岡と称される丘陵北部に位置する。小城藩領。北郷に属す。小城町・岡町とともに小城城下町を形成。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに町名は見えない。小城藩士居住区で,東小路・新小路・北小路・西小路・浜の総称。丘陵桜岡の北麓に設置された藩邸を囲む形で延宝年間以降形成された。2代藩主鍋島直能の時代から桜岡西麓に隠居所ができ,3代藩主鍋島元武は正式に桜岡の館を藩邸とした。家臣が佐賀城下より小城桜岡に移転する際の屋敷配分は,100石以上は3反,40~100石は2.5反,40石以下は2反(直能公御年譜)。西小路・北小路・東小路には上級家臣が居住した(小城着到)。天保元年8月の「領中人数家数調」による人口は館下(小路)として男394・女293,計687人(小城藩日記)。家臣は,小路のほか郷村にも居住し,明治初年には,士1,632人(男830・女802),副士1,409人(男702・女707),卒4,488人(男2,334・女2,154)を数えた(藩政一覧)。藩邸は東方に玄関を設け,東西に長く建物が延びていた。表門は南部,裏門は北東部にあり,両門のある桜岡丘陵との間には堀が掘られ,北部と西部には川が流れていた。桜岡丘陵南麓には2代藩主鍋島直能によって造られた庭園自楽園があり,園内には観魚亭・玉成軒・盛岡館・咸臨閣・碧瓦楼・拾葉庵・風光舎などの楼舎・亭館がある。桜岡丘陵上には,烏森稲荷神社のほか,鍋島元茂・直能を祭神とする岡山神社があり,時鐘台が設置されていた。明治維新後,旧家臣の屋敷から集められた種々の祠が烏森稲荷神社社殿の背後に集められている。「明治7年取調帳」では枝村に小城町・布施刈があり,「郷村区別帳」では元小路として枝村に小城町・布施刈があり,反別67町余。「小城郡村誌」によれば,明治4年小城町・岡町・布施ケ里の3か所(あるいは岡町を除いて2か所)と合併して小城町となる。「明治11年戸口帳」によれば,小城町のうちに北小路(21戸・113人),東小路(9戸・41人),西小路(36戸・114人),中小路(10戸・59人),新小路(21戸・112人),畑田小路(11戸・55人),永岡小路(20戸・71人),鯖岡小路(20戸・107人),下岡小路(6戸・38人)に分かれており,合計戸数154・人口710。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216895