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高城寺
【こうじょうじ】


佐賀郡大和(やまと)町大字久池井(くちい)字春日にある寺。臨済宗東福寺派。春日山と号す。本尊は釈迦牟尼仏・観世音・地蔵菩薩の3尊。正しくは春日山高城護国禅寺と称する。「鎮西要略」によれば,文永7年東福寺の開山円爾(聖一国師)の法弟である無量坊蔵山順空(円鑑禅師)が久池井の地頭国分次郎忠俊の帰依を受けて当寺を創建した。亀山天皇により「高城護国禅寺」の勅額を与えられ,北条時頼ら北条一門の追善供養を行うことで幕府の保護を得て正応元年には佐賀郡河副(かわそえ)荘3分の1の地が施入された(高城寺文書/佐史集成2)。さらに幕府の祈祷所に当てられるなど幕府との結びつきが強く,建武の中興に際して一時所領を没収された。しかし,建武元年8月日付肥前国目代源処英禁制(同前)では既に勅願所として寺地寺領の乱入狼藉を禁じ,同年11月12日付吉田定房御教書(同前)で河副南北荘内の極楽寺免田7町5反・江上薬師堂免田1町・河上仁王講免田5反・米津土居外早潟荒野1所の寺領を安堵している。次いで建武3年9月9日足利直義によって室町幕府の祈願寺となり,同13日には足利尊氏の御教書で五山官寺制度の諸山にあてられ(同前),肥前国東福寺派の拠点となった。正平7年(文和元年)征西将軍宮懐良親王令旨によれば,兵火にかかり諸堂を焼失したが,一旦再興され戦国期には竜造寺氏の保護を受けた。永禄12年の大友氏の肥前侵入に際し,再び堂宇を焼失した(県災異誌)。近世期に入り,元和2年8月25日,初代佐賀藩主鍋島勝茂の下した判物により寺領として久池井村物成39石3斗と衣装料20石を与えられた(同前)。近世期を通じて鍋島氏の祈願寺であったため寺基を保ったが,明治維新以後は退廃し,現在は方丈・宝殿・開山像収蔵庫などの建物のみである。寺宝には鎌倉期作の開山蔵山和尚寿像(国重文)を伝蔵し,鎌倉期~江戸期にわたる古文書類100点余は当寺の寺史だけでなく肥前の歴史にとって貴重な史料である。




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「角川日本地名大辞典」
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