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甲高市里
【こうたかいちり】


旧国名:肥前

(古代)条里の里名。安元2年6月日付肥前国河上宮神田注文案に「壱町〈二季彼岸供䉼 河崎里七坪内五反 十一条甲高市里三坪内五反〉肆反〈二季神祭䉼 十一条甲高市里三坪〉観音講伍反 十一条甲高市里三坪〈南里外内〉鎰取二人給陸反〈牧田里十一坪内三反 十一条甲高市里北里内三反〉」(河上山古文書/平遺3766),文保2年2月10日付河上宮免田坪々領主交名注文案に「四反 十一条甲高市里三坪 山田東郷 末次白石」と見える(河上神社文書/佐史集成1)。佐賀郡11条は大和(やまと)町久池井字惣座付近から同町尼寺字五領付近に比定される。里の読みかたも問題であるが,「甲」は「国府」の意味と解され,国府市場と無関係ではなかろう。11条には高市里もあり,国府に近いほうが甲高市里で,その南が高市里であろう。現在,惣座の南で発掘中の肥前国府は遺構・遺物から判断して9世紀から10世紀にかけての国庁とみられ,8世紀のそれはまだ確認されていない。またこの付近には条里地割りも検出されず,現在条里地割りの確認される大和町尼寺の南から惣座付近まで延長して考えてよいのかどうかも問題である。それは国庁の建物方位がN7°で条里地割りと一致しないからである。従って国庁付近に佐賀郡の条里地割りと異なった局地的な条里地割りの存在を考えてみる必要がある。このように地割りの方位および当初の国庁域の位置等の問題が残るが,大和橋付近に尼寺の小字「市ノ江」が残るのもこの付近に市があった可能性を示す。ともあれ11条甲高市里は国庁域に近い大和橋から惣座の南にかけてで,里内に旧佐嘉川があった可能性が強い。そうであれば,その南の里が高市里であろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216905