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広福寺
【こうふくじ】


武雄(たけお)市武雄町富岡(とみおか)にある寺。臨済宗南禅寺派。蓬莱山と号す。本尊は延命地蔵菩薩。正式には蓬莱山広福護国禅寺と号し,虚空蔵(こくぞう)山白竜寺とも呼ばれる。仁治3年,宋への留学から帰朝し,武雄(当時は塚崎という)温泉で静養していた円爾弁円(聖一国師)を深く尊崇した武雄5代領主後藤清明が,居館丸隈の旧跡を寄進して寺地となし当寺を創建した。最初は三宝山広福寺と称したが,後に山号を蓬莱山と改め,弘安の役の際,後宇多天皇より敵国降伏祈祷の勅額を与えられ,広福護国禅寺と呼ばれるようになった。円爾の名声を慕って多くの雲水が集まり参禅が行われた。また円爾によって受戒した太政大臣九条道家をはじめ,近隣の塚崎領主・富岡領主・中野領主などより田畑の施入を受け,盛時には末寺200有余か寺という状態であった。室町期には官寺である諸山にあてられていた(蔭涼軒日録)ことを知るが,戦国期以後寺運も衰微し,元亀元年の火災および天正2年の兵火により堂宇・古文書等のほとんどが灰燼に帰した(県災異誌)。近世期に入り,武雄領主後藤氏の保護に頼るのみで,元禄4年ならびに寛政元年の調書には末寺も16か寺を数えるだけであった。なお近世の黒印地は10町8反余である(寺社差出)。現在,本堂・庫裏・仏殿・山門・鐘楼などの諸堂が建ち,仁王門には前記の敵国降伏の額を掲げる。ただし,本堂と本尊は,昭和8年6月に焼亡して以後のもの(県災異誌)。寺宝としては,国重文指定の四天王立像,および中立の釈迦像があり,両者共に鎌倉期の作で,寺伝によれば運慶作という。また鐘楼の鐘は朝鮮鐘の影響を受けたもので市指定の文化財。




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「角川日本地名大辞典」
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