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西葉浦村
【さえのうらむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。多良(たら)山地北東麓に放射状にのびる丘陵上に位置し,東は有明海に面する。佐賀本藩領。七浦郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに21石余,「天保郷帳」では37石余,「旧高旧領」には見えない。元禄15年肥前国藤津郡御蔵入七浦之内母ケ浦・西葉浦田方帳によると,西葉浦のうち田反別・地米高は一本松籠3町5反2畝1歩・15石5斗9升4合,搦方1町8反8畝19歩・7石2斗5升9合。田は上・中・下・下々・3下・4下の6段階に分かれ,1反につき上田6斗8升,中田5斗8升,下田5斗,下々田4斗3升(搦方は5斗1升),3下田3斗6升(搦方は4斗4升),4下田は2斗9升(搦方は3斗6升)であった。また同年肥前国藤津郡御蔵入七浦之内西葉浦・宮田尾浦・畠・屋敷の当浦の畑反別・地米高は,5町6反余・4石6升余,うち一本柳籠2町5反余・1石6斗余,二本柳籠2町6反余・2石1升余,広崎5反4畝余・3斗余,ほかに茶園3畝4歩・9升4合,屋敷5反余・1石5斗余,畔4反余・3斗余。寛政11年肥前国藤津郡七浦郷御山方田畠帳では田方5畝10歩・地米高1斗1升1合(新出来2畝21歩・5升4合),畑方3反6畝10歩・地米高1斗8升2合(新出来1町2反8畝3歩・6斗4升1合),米園2歩・地米高3合(新出来2歩・3合),畔方1町3反6畝14歩・地米高1石9升2合(新出来1町5反4畝10歩・1石2斗3升5合)。天明8年,佐賀藩と鹿島藩とが協力して20町歩の干拓を行い西葉籠と名づけたという(小城・蓮池・鹿島藩翰譜補正並びに書続)。文久2年の穀物の価格は3斗あたり上米は銀39匁,中米35匁4分,大豆39匁,小麦28匁,大麦16匁5分であった(御蔵入七浦郷村々御物成取納帳)。応永元年の開山と伝える曹洞宗徳雲山竜源寺があり,切支丹大名有馬氏が領有した時期に一時衰亡したが,のち初代藩主鍋島勝茂によって寛永年間に再興された。本堂に竜造寺隆信,鍋島直茂の位牌が残る。村内は,広崎・竜源寺搦・前籠・川西・砥石平・西葉川内の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに音成村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,音成村のうちに「西葉村」と見え,戸数29・人口145。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217007