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塩屋浦村
【しおやうらむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。多良(たら)山地北東麓に放射状にのびる丘陵上に位置し,東は有明海に面する。佐賀本藩領。七浦郷に属す。「慶長国絵図」では「浜ノ内」に塩屋の名が見える。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに168石余,「天保郷帳」では193石余,「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では東塩屋浦・西塩屋浦として見える。西塩屋からは弥生中期の貝塚が発見され,貝層は厚さ約50cm,幅20mで,土器・石器などが出土している。東塩屋には五畝田古墳群があり,出土品には勾玉・管玉・耳環などの装身具のほか,鎌・斧・鏃・剣・刀などの製鉄農工具と武器,須恵器・土師器の坏があり,2次埋葬に伴うと思われる青磁碗や陶質土器がある。元禄16年の反別・地米高は東塩屋浦は一本松籠から七本松籠・三本柳籠(西塩屋よりの入地)および搦方ともに15町1反8畝25歩・69石8斗6升4合,西塩屋浦は一本楊籠から五本楊籠および搦方ともに11町9畝5歩・52石4斗4合(肥前国藤津郡御蔵入七浦之内東塩屋浦・西塩屋浦田方帳/鹿島市史)。七浦郷の各浦は江戸期以降海岸の干拓が進み,当村では塩屋籠4町が造成された(県干拓史)。東塩屋には浄土真宗潮音山(また証覚山とも)立安寺があり,ほかに明応9年建立の逆修碑がある。村内は,東塩屋は五畝田・植松・平原・下尾形・藤原,西塩屋は古場城・松尾平・猪ノ木・狐谷・樋渡・池頭・吉野・念田・草場・搦・西塩屋・土道の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに東塩屋浦・西塩屋浦として音成村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば音成村のうちに「塩谷村」と見え,戸数97・人口467。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217124