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式波村
【しきなみむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。式浪とも書く。また大波村ともいう(元禄国絵図)。吉田川と合流して北流する塩田(しおた)川の左岸に位置する。佐賀本藩領と蓮池(はすのいけ)藩領。嬉野(うれしの)郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」とも小村に小川村が見える。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では203石余,「天保郷帳」では236石余。「旧高旧領」には見えず。蓮池藩領の地米高は「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」とも137石余。天明元年~4年の本支藩の藩境紛争の結果,石の藩境標識(番号石)を25個設置。その際の家数は本藩領19,蓮池藩領21。文政3年の「本役米銀米割方帳」によれば当村の地米高は153石余,うち年々諸除高2石余・水番料除高1石・村横目除高5石・大庄屋小庄屋除高15石余・竹木買料11石余・大庄屋小庄屋給札馬加勢除高6斗9升を引き,残り116石余となっている。弘化4年の村絵図によれば,東部の河岸地域は蓮池藩領の田地があり,西部の山地には佐賀本藩の御山方の支配地や山田・山畑が混在している。西から東へ流れて塩田川に合流する小川で上・下式浪村に分かれ,東部の平地の南北路により両者は結ばれている。この道沿いに,塩田川から取水した水路が走っている。上式浪村は塩田川と吉田川の合流点付近に位置し,28軒ほどの集落がほぼ中央部に見える。集落の南に薬師堂,同北隣に観音,同西の山地内に金毘羅大神宮がある。下式浪村は塩田川下流沿いに位置し,30軒余の集落が上式浪村との境近くを通る塩田通(長崎街道)沿いに見える。当村付近の塩田川は水量が多く,塩田通の渡別当(とべと)渡は長崎街道中の難所として知られた(御国中所々道法帳)。そのため後に道筋は彼杵(そのき)通に変えられた。しかし元禄年間には式浪井堰によって20町歩の新開がなされ(嬉野町史),また江戸末期には副業に,この豊富な水量を水車に利用して天草陶石から陶土を作るなどの利点もあった。「明治7年取調帳」では大草野村の枝村と見える。「明治11年戸口帳」によれば大草野村のうちに「式浪村」と見え,戸数65・人口323。なお明治以後当地は塩田町の一部となるが,昭和38年嬉野町に編入。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217128