下直鳥村
【しもなおとりむら】

旧国名:肥前
(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。「しもなわとりむら」ともいう。筑後川の支流城原(じようばる)川西岸の平坦地に位置する。蓮池(はすのいけ)藩領。嘉崎郷に属す。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では723石余,「天保郷帳」では751石余。「旧高旧領」には見えない。城原川にかかる下直鳥橋があり,内堀が集落のなかを縦横に流れる環濠集落をなす。延享元年・安永5年・天明7年・寛政3年・文化元年・慶応元年には,直鳥川(城原川)の氾濫・堤決壊で浸水している。文化元年蓮池藩主鍋島直温は執政松枝善右衛門・元締野副源右衛門を派遣して水害の状況の調査を命じた。天明8年の蓮池藩の火災では当村の役丁10人が蓮池城内真教寺の警衛消防に当たっている(蓮池日史略)。慶応3年~明治3年の土地保有状況は,自作農家の家数65のうち1町未満が50戸であった。また馬使いなどの雇人恩米は天保・安政期で3~5石であった(下直鳥境家男恩米控帳)。建御名方命を祀る王子神社と菅原道真を祀る天満神社がある。佐賀郡玉林寺の末寺曹洞宗妙門寺は廃寺となっている。明治4年蓮池県・伊万里(いまり)県,同5年佐賀県,同9年三潴(みずま)県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「郷村区別帳」では直鳥村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば直鳥村のうちに「下直鳥村」と見え,戸数73・人口376。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7217203 |





