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下不動山村
【しもふどうやまむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。塩田(しおた)川上流の山間地に位置し,川沿いに帯状につながる平地と山地からなる。佐賀本藩領と蓮地(はすのいけ)藩領。本藩領は主に山地部を,蓮池藩領は主に平地部を占める。嬉野(うれしの)郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では1村として見える。ただし,国絵図類や「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」では上不動山とともに不動山村に一括されており,村高は不明。なお,「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」では蓮池藩領の地米高は146石余。長崎街道(彼杵道)は当地で塩田川を渡り,山にかかる。塩田川には平野の渡しがあり,広さ5間,深さ2~3尺(御国中所々道法帳)。雨期には増水のため難所として有名で,最も利用した福岡藩主が渡河に苦しんだ記録が数多く残る(蓮池藩請役所日記)。街道脇にそびえる立岩(たていわ)山には,慶長18年にキリスト教長崎栄長区不動山分駐所があった。また,長崎奉行所の官金盗難伝説を伝える盗人(ぬすど)淵がある。茶の栽培が盛んで,文化3年には,「是より不動山を四五丁登れば,唐茶を売家多く立並べり」(筑紫紀行)というほどになった。天明元年~4年の本支藩の藩境紛争の結果,石の藩境標識(番号石)を79設置,その時の家数は本藩領7戸,蓮池藩領41戸。塩田川の井堰から引いた用水路が山裾を走っている。寺院はなく,キリスト教大弾圧の伝説が残る。神社は平野に丹生神社があり,鳥居に元禄14年の藩主の名がある。「明治7年取調帳」では不動山村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,不動山村のうちに「下不動山村」と見え,戸数74・人口331。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217215