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世間村
【せけんむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。鹿島川下流右岸に位置する。鹿島藩領。能古見(のこみ)郷に属す。村名の初見は貞享4年改元文3年写郷村帳で,「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える。往古,当地は有明海中にあり,瀬をなしていたが,その瀬が険であったところから「セケン」という地名が生まれたといういい伝えがある。周囲の村々同様当村も有明海の干拓地であるが,当村の地盤の一部は岩石からなり堅牢であるという。天保3年鹿島私領村々畝数石高帳による反別34町余,村高317石余。近世末期には,反別28町余,村高347石余(うち物成258石余・口米3石余・夫米13石余),ほかに潟運上銀39匁(鹿島藩記録)。米作中心の水田地帯である。明治初年の戸数40(うち農家38)・人口167(同前)。享保18年3月には飢饉のため男3・女4の餓死者を出した(鹿島藩日記)。当村には,日本武尊伝説にちなむ釜盃が代々保存され,毎年3月1日にハガマ祭を行う習慣がある。村内は,稲毛籠・新ケ江籠・立角・三町分・地蔵角・内間角・外牟田角・黒竹角・的場角の小地名からなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに重ノ木村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,重ノ木(じゆうのき)村のうちに「世間村」と見え,戸数35・人口153。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217399