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高田ケ里村
【たかだがりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。高田刈とも書き,今川ともいう。佐賀平野の北西部,祇園(ぎおん)川西岸に位置する。村名は古代条里制の固有里名「高田ケ里」に由来する。小城藩領。五百町(いおまち)郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに266石余,「天保郷帳」では280石余,「旧高旧領」には見えない。元亨2年千葉胤貞が創建したと伝える日吉神社は2代藩主鍋島直能の産土神とされ,境内には天和3年6月に奉納した灯籠がある。寺院は日蓮宗円教寺。明治元年の庄屋は与助(犬山家文書)。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに長神田(ちようかんだ)ケ里村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば長神田ケ里のうちに「高田ケ里」と見え,戸数17・人口72。なお「小城郡村誌」によれば,明治4年二俣・初田・大寺・佐織・長神田・戊(つちのえ)の6か村と合併して長神田ケ里となったという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217489