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武雄温泉
【たけおおんせん】


武雄市の蓬莱(ほうらい)山麓にある温泉。嬉野(うれしの)温泉とともに佐賀県を代表する温泉で,古くから柄崎(つかざき)温泉と呼ばれていたが,明治28年に鉄道が開通し,駅名が武雄駅となった折,武雄温泉と改名された。昭和55年12月末現在,県内に温泉利用施設が152あり,そのうち18(嬉野は91)を占める。しかし利用施設は昭和15年ころから増加していない。武雄温泉の歴史は古く,「肥前国風土記」杵島(きしま)郡条に「郡の西に温泉あり」と記される温泉が武雄温泉を指すことは間違いない。正安3年の「武雄神社文書」に「富岡村永松名温里廿五坪」とあり,永松名が武雄温泉駅の東方に残ることから,温里が現在の武雄温泉を指すことは確実である。また後藤氏8代直明は仁治3年のころ,聖一国師円爾のために米守名(応長元年の「武雄神社文書」に「長島庄富岡村米守名内温里十坪参段,十五坪参段事」とある)温泉里の館を寺とし,蓬莱山広福寺を開山したといわれ,室町期まで広福寺が温泉を管理していた。天正20年6月18日の「武雄鍋島家文書」によれば,朝鮮出兵のため名護屋に集まった大名の家臣たちが出発前に入浴しており,江戸期には藩主の浴室もつくられた。元禄4年ケンペルの「江戸参府紀行」に武雄温泉について「柄崎(武雄)温泉は四肢の麻痺に効用あり」と簡単に記している。文化4年シーボルトの「江戸参府紀行」には「塚崎付近の温泉はまた武雄温泉の名で知られていて,同じ名の山麓にあり,一般に嬉野温泉と同様の物理的・化学的性質を示している。ただ温泉の温度は列氏40度(摂氏50度)に過ぎず,湯元の湯溜りはもっとも大きく浴室もいちだんと快適な設備をもっている。使節とわれわれは,肥前藩主の浴場で入浴する許可をえた」と詳細に記している。源泉は蓬莱山麓に自然湧出していたのを利用していたが,大正2~3年武雄温泉株式会社がボーリングを行い,45.6℃の自噴が得られ,新湯と称して利用されていた。その後昭和8~15年の間に23本のボーリングが行われ自噴していたといわれるが,源泉は増加していない。現在は自然湧出はみられなくなり,温泉水位は地表下となっている。泉質はアルカリ性単純温泉で泉温18.0~50.5℃。温泉場の入口には辰野博士設計の朱塗りの温泉楼門があり,武雄市の繁華街に接して温泉街が形成されている。約50軒の旅館や土産物店が軒を連ねてにぎわっており,背後の蓬莱山は浴後の散策に好適で,少し離れた所には御船山楽園・御船山の景勝地にも恵まれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217531