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玉島川
【たましまがわ】


玉島川水系で,16の支流を持つ。東松浦郡七山(ななやま)村の北東部,福岡県糸島郡二丈(にじよう)町との境にある荒川峠付近に源を発し,同村内で馬川川・野井原川・滝川・仁部川・樽門川・狩川川などを合わせ,同郡浜玉(はまたま)町に入り小川・下南山(しもなんざん)川・谷口川・金草川・横田川などの支流を合わせて,唐津(からつ)湾の東端部に注ぐ川。延長16.3km,流域面積93km(^2),2級河川。「古事記」「日本書紀」「肥前国風土記」「万葉集」などにでてくる歴史的に著名な川である。万葉のころは,浜玉町五反田付近から鏡山の北麓へ大きく迂回して栗川と合流して唐津湾に注いでいたという(太宰管内志)。古くからアユの多い川で,神功皇后の鮎釣りの伝説がある。「肥前国風土記」の松浦郡の項に「昔者,気長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)尊,新羅を征伐たむと欲(おも)ほして,この郡に行でまして玉島の小河の側に進(みをし)食し給ひき。こゝに皇后,針を勾げて鉤(つりばり)と為し,飯粒を餌と為し,裳の糸を緡(つりいと)と為し,河中の石に登りて,鉤を捧げて祝ぎ給ひしく,朕(あれ),新羅を征伐ちて彼の財宝(たから)を求がむことを欲ふ。その事功(いさを)成り,凱旋(いくさか)たむには,細鱗(あゆ)の魚,朕が鉤緡(つり)を呑め,と宣り給ひ,やがて鉤を投げ給へば,片時(しまし)にして果してその魚を得給ひき」と記している。同じ内容で「古事記」には玉島里の「其河」,「日本書紀」には「玉嶋里の小河」と見える。「肥前国風土記」に前述の神功皇后の話に続けて,以来松浦の国の女は4月には常にアユを釣り,男性が釣ってもとれなかったと記しているが,明治初期まで皇后の故事にならい,女性だけが鮎釣りを許されていた。なお狂言の「三人片輪」,謡曲の「鵜飼」にも,玉島川が見える。川口にある浜崎付近一帯は,宝暦13年幕府領,文政元年対馬藩領となったが,浜崎浦は回船の船泊として繁栄した。明治以降,ミカン栽培が盛んとなり,玉島ミカンとして有名である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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