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太良町
【たらちょう】


(近代)昭和30年~現在の藤津郡の自治体名。昭和30年2月多良(たら)町と大浦村が合併して成立。旧大浦村域は大字大浦となり,旧多良村の大字糸岐・多良とともに3大字を編成。同年3月鹿島市大字飯田字伊福を編入し大字伊福とし,4大字となる。多良岳を背に放射状に有明海へと広がる丘陵地帯で,多良川・糸岐川・田古里川などが西の山間部に源を発して東流し有明海に注ぐ。昭和30年の世帯数2,831・人口1万5,865(男7,617・女8,248),同50年の世帯数2,935・人口1万2,997(男6,275・女6,722)。町営の簡易水道は昭和33年に,また上水道は同43年に完成し給水を始めた。同44年には電話の完全自動化,昭和40年代には国道207号(2級国道)の改良工事が進められ,同51年に全面開通。昭和49年に破瀬浦大橋が,同51年には今里橋が開通。また同年に現在の国鉄長崎本線が電化開通。公共機関としては昭和45年に老人福祉センター,同52年にテニスコート,同54年に屋内プール・中央公民館・弓道場が設置。昭和49年には太良派出所設置。当町は第1次産業従事者が多く生産年齢人口の約60%を占める(昭和50年)。うち,中心が農業と漁業である。農業では米,麦,甘藷,雑穀(粟・豆類)が中心で養蚕・竹畑工・養豚・サフラン栽培などの副業も行われたが,昭和40年頃から温州ミカンの栽培が盛んになり,農家の大部分がミカン栽培農家で県内でも有数のミカン栽培地となる。漁業では昭和30年頃から海苔の養殖が行われ,日本でも有数の海苔生産地となる。大浦地区では,夏はカニ(ガザミ)漁,冬はタイラギ漁(潜水漁法でタイラギと呼ばれる貝をとる)が主で,このタイラギ漁の漁民は潜水夫としての技術が買われ,近年大分県の国東(くにさき)半島方面などに出かせぎを行ってきた。昭和37年集中豪雨により,死者44名・重軽傷者127名・家屋全半壊184戸などの大きな被害を受けた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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