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坪ノ上村
【つぼのうえむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。佐賀郡のうち。佐賀平野中央部,多布施(たふせ)川東岸に位置する。佐賀本藩領。上佐賀下郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」「天保郷帳」ともに272石余。「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」で1村として見え,「天明郷村帳」では小村に奥ノ手木がある。村名は条里制に関係があるものと思われる。当村にはかつて竜造寺氏の出城であった坪ノ上城が置かれ,その付近一帯の北部を北屋敷,南部を南屋敷と呼んでいる。天明4年の上佐嘉下郷坪上村絵図には観音屋敷・曲淵墓地のほか郷倉が描かれ,天明の飢饉の際には難民救護を行ったという。人家は観音屋敷付近に6戸,郷倉付近に15戸ある。浄土真宗本派光寿山浄満寺は寛永10年鍋島茂忠の家臣広松源之丞重政が朝鮮出兵による戦死者の慰霊のため建立したと伝える。享和3年鎮守として建立された坪ノ上天満宮は,かつて背振山の三ツ瀬峠を北に越えた曲淵村に住んでいた秀島氏などが当村に転居の際奉じてできたため曲淵天満宮ともいわれた。廃藩置県後から明治22年まで村内に事務取扱所が置かれた(高木瀬町史)。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに長瀬村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば長瀬村のうちに「坪ノ上村」と見え,戸数23・人口93。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217720