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妻山城
【つまやまじょう】


杵島(きしま)郡白石(しろいし)町大字馬洗(もうらい)にあった城。杵島山地北東端に突き出た尾根に位置していた。源頼朝によって白石郷の地頭に任命された日向太郎通良の裔白石五郎通益が文治3年須古に高岳城(高城)を居城とした際,妻山城は支城となったのでこの頃に築城されたと思われる。南北朝期,白石氏は宮方に属し,建武2年7月2日には一色道猷と少弐頼尚の北朝方に攻撃されたが持ちこたえた。また正平5年3月19日には渋江公経と一色道猷の攻撃を受けたがこの時も撃退した。しかし「北肥戦誌」に「同年(永和2年)の春,今川了俊入道,杵島郡へ討ち入り,二月廿五日塚崎に在陣し,後藤と相戦ひ,夫より長島へ陣を移して,渋江公治が潮見の城を攻め落し,稲佐に到りて,白石弥次郎が須古の妻山の城を攻め破り,先づ府中へ帰陣す」と記すように落城した。南北朝期以後地方豪族の争いが激化し,白石地方に勢力を持っていた千葉氏は,藤津(ふじつ)郡に勢力を伸ばしてきた有馬氏に対抗するため,文明9年平井氏を須古に配したが,大永5年に平井経則が有馬氏に味方して白石が有馬氏の勢力下になった。この時白石氏は当城が要害の地に欠けるとして嬉野に鷲城を築いて天文年中に去った。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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