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鶴田ケ里
【つるたがり】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。鶴田村ともいう。城原(じようばる)川右岸の平坦地に位置し川を隔てて神埼宿がある。佐賀本藩領。嘉崎郷に属す。「宝暦郷村帳」には小村に鶴田町の名が見える。給人・地米高は「玄梁院様配分帳」では太田鍋島家の太田生左衛門126石余,「大小配分石高帳」では太田鍋島家鍋島播磨126石余・百武次郎兵衛10石。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」で352石余,「天保郷帳」では361石余,「旧高旧領」には見えず。寛政期の戸数約11(寛政絵図)。神社に天満宮がある。主要道は長崎街道より分かれて横武村を経て小城(おぎ)へ通じる小城街道で,また城原川には神埼宿へ通じる鶴田橋が架かっていた。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」とも本告牟田(もとおりむた)村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」には本告牟田村のうちに「鶴田村」と見え,戸数12・人口44。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217726