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唐人新町
【とうじんしんまち】


旧国名:肥前

(近世)江戸期~明治初期の町名。新町ともいう。江戸期は佐賀城下の1町。寛政元年の幕府巡見使への報告に見える城下三十三町の1つ。佐賀城の北に位置し,南は唐人町,北・東・西は神野(こうの)村に接する。唐人町と同じく佐賀城下に編入されるのは正保年間以降である。家数は承応3年佐賀城廻之絵図では73,元文5年屋敷帳では80。嘉永7年唐人新町竈帳の総竈数92(明家8),人数379(男189・女190),身分別竈数は徒士1・足軽15・被官16・仲間1・その他の有姓者2・町人49,とくに多い職種の竈数は野菜屋39。野菜物売が多いのは,郷村部と接する町としての特徴がうかがえる。人足小頭を職とする世帯主が2人もいるところをみると人足に出る町民も多かったと思われる。宗派別の竈数は,一向宗36・禅宗32・浄土宗11・法華宗3である。町政は唐人町の別当が総轄し,町民のうちから咾・年寄が各1人ずつ選ばれて別当の指示を受け町政の実務にあたっていた。嘉永2年3月,20余年ぶりで狂言芝居が5日間にわたって催され,諸方から集まった見物人が1日に1万5,000人余に達し,病人がでるほどであった(野田家日記)。「明治7年取調帳」では唐人町の枝町として見え,明治初期には唐人町に含まれるようになったと考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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