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唐船城
【とうせんじょう】


西松浦郡西有田(にしありた)町大字山谷甲字平瀬にあった城。有田川は南から北に流れているが,途中腰岳南西麓付近で東から西に大きく突き出た丘陵地(86.4m)は流紋岩からなるため,有田川は北流を遮られて,この突き出た丘陵に沿うようにして大きく曲流している。この独立丘陵上(唐船山という)に築かれた平山城。宇野御厨検校であった源久の子源四郎直の第3子源栄が有田地方を与えられ,建保6年当城を築いたといわれる。その後栄は地名の有田をとって有田三郎栄と称し,有田氏の祖となった。築城の目的は有田川流域から伊万里(いまり)湾に出る通路をおさえるためであろう。「松浦家世伝」によれば,3代重の頃から唐船城主は本家今福(源久が松浦市今福に梶谷城を築く)の城主が兼任して城代が治めた。12代源盛は「海東諸国記」に「源盛 丁丑年遣使来朝称肥前州上松浦丹後太守源盛受図書約歳遣一舡小二殿管下有麾下兵」と記される。彼は相浦(現在佐世保市)に築港して貿易振興に励んだ。その後天正5年正月竜造寺隆信に降伏して有田氏の支配は終わり廃城となった。遺構として郭・空堀・石垣が認められる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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