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堂園村
【どうぞのむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。本城川流域,浄土山西麓に位置する。鹿島藩領。能古見(のこみ)郷に属す。村高は,「正保国絵図」では道薗村とあり115石余,「天明村々目録」では145石余,「天保郷帳」では133石余,「旧高旧領」には見えない。郷村帳には村名は見えず,郷村帳に示す土穴村一帯に比定され,現在小字名に堂園の地名が残る。天保年間の鹿島私領村々畝数石高帳にも村名はない。土穴村は三川内村の小村として見え(享和元年写御領中郷村附・万延元年改郷村帳),近世末期に土穴村は北部の貝瀬と統合されて大川内村となる。近世末期には大川内村として村高138石余うち物成115石余・口米1石余・夫米5石余,ほかに酒帘冥加銀37匁余,糀室冥加銀13匁余,水車運上銀35匁余,林年貢銀2貫175匁余が課せられた(鹿島藩記録)。明治初年の戸数59(うち農家49)・人口282(同前)。村内は現在の貝瀬として,松原・峰・内籠・才上・北貝瀬・諸星・南貝瀬・真崎・和田丸,土穴として河原・吹上・長野・常園・土穴・中島の小地名よりなる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに大川内村として山浦村の枝村に見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217772