轟木
【とどろき】

旧国名:肥前
筑後川の支流安良(やすろ)川中流左岸部の平地に位置する。地名の由来については,「肥前古跡縁起」に「轟木ノ宿ハ昔,延喜帝ノ勅使金立山ヘ下リ給ヒシ時此里ニ宿シ給ヒ,車ヲ轟シ,御山ニ登リ給ヒシヲ,里ノ名ニ云ヒ伝ヘテ,轟木ノ里ト云フ」という伝説がある。鎌倉時代には御家人土々呂木氏が根拠地としたとも伝える。なお,弘安9年閏12月28日蒙古・岩門合戦恩賞地配分注文案によれば土々呂木又六家直は松浦荘内石垣村兵庫馬三郎能範跡,土々呂木四郎右衛門入道西能は筑前国乙犬丸三分一筥崎執行職成直跡,土々呂木七郎家基は筑前国
田別符倉永名を勲功賞としてそれぞれ配分されている(比志島文書/神崎荘史料)。文禄4年12月1日付豊臣秀吉朱印状写に「一,七百壱石六斗 同(肥前国養父郡)ととろき村内」と見え,当地は鍋島加賀守直茂に宛行われた13か村5,700石の内の1か所であった(鍋島家文書/佐史集成3)。
【轟木村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【轟木村(近代)】 明治22~40年の自治体名。
【轟木(近代)】 明治22年~昭和34年の大字名。
【轟木町(近代)】 昭和34年~現在の鳥栖市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7217819 |





