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名尾村
【なおむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。佐賀郡のうち。名尾山村ともいう。嘉瀬川支流名尾川流域の山間地に位置する。佐賀本藩領。佐賀郷山内之内に属す。「宝暦郷村帳」では小村に楮原村・桟敷村・鹿ノ子原村,「天明郷村帳」では小村に大籠・籠原・中ノ門・桟敷・峠がある。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では138石余,「天保郷帳」では194石余。なお,隣接した神埼郡にも名尾村があり,「慶長国絵図」には神埼郡に属するとして村高208石余とあり,「正保国絵図」以降には同村は137石余となるので,慶長~正保年間において神埼郡名尾村が二分され,郡域を異にしたものであろう。神社は桟敷に猿田彦神社(庚申が主神,申田彦,猿田彦命)がある。寺院も桟敷に臨済宗東福寺派竜泉寺(千手観世音)があり,良本禅定門(鍋島清直公又は経房公ともいう)と正妙禅定尼(清直公御前様,野田壱岐守殿女)の墓がある。名尾の石仏の自然石も桟敷にある。籠原には名尾王の墓地がある。山地で耕地が少なく,生活困難のため副業に力を入れ,名尾障子紙が製造されていた。元禄年間に当村の納富由助が筑後の溝口村で僧日源の教えを受け,漉造製紙法を習得して来て伝えたという。近世期には藩が資金を与えて,藩札を作ったり,役所の用紙を製造したという(大和町史・肥前国誌)。行事には,籠原にご来光さん(8月23日),桟敷にほんげんぎょう(鬼火たき,1月7日)がある。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では梅野村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば梅野村のうちに「名尾村」と見え,戸数56・人口263。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217853