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中飯盛村
【なかいさがいむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。佐賀郡のうち。佐賀平野,八田江西岸に位置する。佐賀本藩領。与賀下郷に属す。「元禄国絵図」では下飯盛村に属して表記されず,貞享年間の「郷村一覧」には当村内に本(元)相応村を含むとある。「宝暦郷村帳」には小村に本相応村があり,「天明郷村帳」には小村に大屋敷小路・辻小路・江副小路がある。村高は,「御蔵入地米郷村附」の地米高782石余。寺社は曹洞宗竜泰寺末寺悟真寺が村中央にあり,神社には上飯盛村より分祀されたと伝える天満宮が村北部にある。天明7年の村絵図では南西隅に法陽寺が記されているが,「寺社差出帳」には宝陽寺(竜泰寺末寺)とある。同絵図には戸数38戸が見える。「御親類家老家来私領外住居名書」では鍋島山城の足軽など12人,弘化2年「総着到」では8家・14人の切米給がいる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では飯盛村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば飯盛村のうちに「中飯盛村」と見え,戸数51・人口270。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217856