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永崎里
【なかさきり】


旧国名:肥前

(古代)条里の里名。建治3年12月20日付の十町分地頭・領家田地屋敷注文案に「なかさきかりかめわう丸ミやう一反一丈にしよりちやうまんつくり なかさきかりまつさきみやう内二反 なかさきかりあんやうしのてらた一反」と見える(橘中村文書/佐史集成18)。また南北朝期,建武2年8月3日付長嶋庄下村本物返田畠注文に「一,永崎里一丁内東依五反辻一反一丈 神薗一所丁子一丁買主牛嶋六郎入道当知行人 大町田淵尼渋江五郎四郎六丈田一反一丈本物返事,同処之左近丞,押薗一所本物返」とあり,さらに康永4年2月17日付中橋尼女子譲状に「又かたしろのやしきとなかさき三たんハ,かたしろのくわんをんにきしん候へく候」とあり,同日付の田畠坪付注文にも「一,なかさきかりの十五つほ三たん」と見えている(橘中村文書/佐史集成18)。鳴瀬山西側の武雄(たけお)市橘町芦原字鳴瀬一帯に比定されるが,前掲建治3年注文案に「なかさき北里卅六坪一丈十七分西ヨリ四」と見える。「なかさき北里」はこの「永崎里」の北側に位置すると考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217881