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永野北村
【ながのきたむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。六角川(潮見川)上流,平原峠の南麓に位置する。佐賀本藩領。武雄(たけお)郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」に1村として見える。なお,両郷村帳には別に永野南村の名が見える。「正保国絵図」「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」では永野村として統一されている。江戸初期に塚崎後藤氏20代家信の隠居所があり,浄土宗浄泰寺はその跡に創建された。神社は天満宮。「明治7年取調帳」では永野村の枝村として北永野村の名が見え,「郷村区別帳」では南永野村の枝村として「北永ノ村」の名が見える。「明治11年戸口帳」によれば,永野村のうちに「北永野村」と見え,戸数42・人口188。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7217918