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南川原村
【なんがわらむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。松浦郡のうち。有田(ありた)川上流の左岸に位置し,その支流南川良川が北流する。佐賀本藩領。有田郷に属す。皿山代官支配地。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では9石余,「天保郷帳」では13石余。「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」では上南川原山・下南川原山の2村に分載されているが,「天明郷村帳」では上南川原山とのみ記す。享和元年の郷村帳では曲川村のうちに南川原山の名が見える。有田陶磁器の生産地である有田皿山の一角をなす。酒井田旧記の享保8年口上手続覚によれば,豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に鍋島直茂が朝鮮全羅道南川元の陶工・職人150人を連れ帰り,そのうちの75人が当地に陶窯を築いたという。故国の南川元から南河原(なんかげん)と転化して村名となったといわれ,南古良・南川良・南高麗などの窯跡名が残る。地内に17世紀中期頃のものと推測される古窯跡9基が発見された天神森古窯群がある。また付近には小物成古窯跡・窯の辻古窯跡群・柿右衛門窯・第2期鍋島藩窯跡などもある。承応2年万御小物成方算用帳に見える有田皿山十四か所の窯場の1つに南川原山の名が見え,有田皿山でも古い窯場の1つである。酒井田柿右衛門らが白石郷から当地へ移ってきたのも,当地の焼物の評判を聞き伝えたためともいう。文化11年の窯数は上南川原登に13,下南川原登に14。明治9年の有田陶業盟約に連判した窯焼人は4人。「郷村区別帳」「明治7年取調帳」ではともに有田新村の枝村として見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218003