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仁位所村
【にいところむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。「にいとこ」ともいい,新所(水江事略)・新処・二位所・仁位処(以上丹邱邑誌)とも書く。地名の由来は,口碑伝承によると当地に身分の高い京の人が住んでいたため二位殿の所という意味で二位所と呼ぶようになったという。多久盆地の東北部で,笠頭山の南西部山麓に展開した扇状地に位置する。南部には平地が開け,唐津(からつ)往還が東西に横断している。佐賀本藩領。下多久郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」には1村として見える。「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」には村名が見えず,村高は不明。「丹邱邑誌」によれば,文政6年の戸口は54戸・176人,僧2,馬15・牛1。集落に一ノ瀬・中河原・上渋木がある。溜池は2か所。鎮守の鬼神大明神は,「丹邱邑誌」によれば,創建が文明2年とも大同2年ともいわれ,祭礼は11月初丑日,社務は妙海寺が行った。ほかに山王権現社があった。釈迦如来を本尊とする日蓮宗浦寺山妙海寺は慶長4年創建と伝えるが,一説に鎌倉期の創建,慶長年間に中興ともされる。北部の荒平山は多久氏の御狩倉であった。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに別府(べふ)村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,別府村のうちに「二位所村」と見え,戸数46・人口194。なお,「小城郡村誌」によれば,明治2年上村(宝蔵寺村)・下村(古賀)・渋木・羽佐間の4か村とともに別府村に合併したとある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218012