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仁比山神社
【にいやまじんじゃ】


神埼(かんざき)郡神埼町大字的(ゆくわ)にある神社。旧県社。祭神は大山咋(おおやまくい)神。もとは,日吉神社,山王社などと称した。明治44年白角折(おしとり)社などを合祀して,現社号に改称。「肥前古跡集」によれば,天平元年松尾明神を勧請したことに始まり,承和10年比叡山日吉山王社を分霊して合祀した。また,神宮寺であった仁比山護国寺の由緒書によれば,承和11年慈覚が土中より「日吉宮」と書いた額を掘り出して仁明天皇に奏上,仁明天皇の仁と,比叡山の比とを合わせて仁比山の勅号を受けたと伝えられる。永禄2年大友宗麟の来襲の際焼失,その後,鍋島直茂,勝茂によって再建。「仁比山神社文書」(佐史集成5)によれば,正平16年11月2日興澄が神崎荘の中にある屋地28坪24丈を寄進,康正元年12月2日大内教弘が料所等を安堵,文明17年10月20日少弐政資も社領を安堵している。近世には佐賀藩の保護を得,社殿の営繕は藩費によって行われ,他に社地3町歩余,山林15町余,社禄物成38石並びに稟米30石が寄進された(県神社誌要)。明治3年鍋島直大によって修理田(しゆりた)村の山王社が合祀。この修理田村の山王社については,元文5年5月21日付諫早茂行達書(仁比山文書/佐史集成5)に,御祭料として米5石の寄進と毎年6月14・15日に祇園会を立てることを許可する旨がみられる。また当神社の南方1kmのところには白角折社がある。現在,神霊は仁比山神社に合祀されているが,境内には県指定天然記念物の大クスがある。仁比山神社の所在地である的という地名と白角折という社名とについては,日本武尊が熊襲征伐の折に白角折社のところから的に向かって矢を射たという伝説がある。このことから,白角折は幣作りのおしとり部と,的は弓の的作りのいくわ部との関係がみられる。明治4年村社となり,大正5年県社に昇格。祭礼には御田舞(県重要無形民俗文化財)がある。これは13年目の申年ごとに行われるもので,四月の初申の日から次の申の日までの13日間にわたって奉仕される。古式を伝えており,起源は不明であるが,中世にまでさかのぼるといわれる。寛永20年3月6日付仁比山社祭礼入具覚書(仁比山神社文書/佐史集成5)によれば,費用として米10石・銭10貫文・銀子1貫500目などが計上され,佐賀藩から認められている。また,御田舞の役者は48人であり,稽古の期間の公役は免除された。近世には,祭礼への藩主代参も行われ,藩内だけではなく筑前・筑後方面からの崇敬参拝も多かった。現在,田舞神事を行う神社は,県内に5,6社あるが,仁比山神社のものがもっとも規模が大きく見学者も多い。境内に接して,シーボルトに西洋医学を学び,わが国で初めて種痘に成功した伊東玄朴の旧宅(県史跡)が残っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218014