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西岳山地
【にしだけさんち】


「にしんたけ」ともいう。県西部,長崎県との境付近に広がる溶岩台地。有田川断層谷より西の地域で,北松浦半島の溶岩台地東部一帯の山地である。南西方向に緩やかに低くなる傾動地塊で,断層崖の頂部に烏帽子(えぼし)岳・国見山・八天岳が脊梁をなし,烏帽子岳を除きこの山地の東部の分水界が佐賀・長崎両県の県境となっている。高度500m~700m。当山地は第三紀層の上に松浦玄武岩が噴出して形成されたもので,その境付近の地下水が地滑りの原因となり,地滑り多発地帯となっている。安政4年の松浦郡山代郷図には石倉(いわくら)岳(313.1m)付近に「ぬげ」と記入され,小字名としては国見岳付近に大崩(ううくえ)がある。地滑りについて,「永尾家御用日記」の文政8年の記述に「去申年以来如何振合御座候哉,村七合通も抜崩(地滑り)相成」,天保2年の記述に「近年抜崩相成候処,当春存外之永雨ニ而只様抜下リ」,天保10年の記述に「抜け掛より最早十六ケ年にも相成候得共,今以相居り不申」などとあり,長期にわたり地滑りが続いている。山地の第三紀層の部分に炭層を含むものもあり,幕末期から石炭採掘がみられた。天保~文久年間製作と推定される「山代郷久原村石炭鎔絵図」に久原村近郊の石炭採掘の模様などが詳しく記されている。同地区は佐賀藩の御用石炭採掘場で,幕末期軍艦の燃料などに用いられた。また,伊万里(いまり)湾沿岸の塩田用,瓦焼き・風呂屋用など地元消費のほかに四国や中国方面の製塩用としても供給された(伊万里市史)。第2次大戦後,一時活況を呈したが,昭和36年をピークに衰退し,今は炭坑は1つもない。山地の西部,伊万里市山代町にある山ン寺(標高400~500m)付近には,12世紀ころの松浦源氏創成期の多くの遺跡がある(松浦源氏創成期遺跡山ン寺)。このほか,先土器文化の遺跡白蛇山岩蔭遺跡(伊万里市東山代町脇野字岩戸山)や多くの古墳などがある。山地の北部にある竹の古場公園からの眺望は素晴しく,玄海国定公園の一部となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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