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西道免村
【にしどうめむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。西道目とも書く(文化8年小城郡平吉郷図)。福所江(堺川)右岸の平坦地に位置する。小城藩領。平吉郷に属す。東芦刈水道の西部で,江湖堀の北側に位置する。集落は南北朝期の成立と考えられる(芦刈町史)。「正保国絵図」には道免村(村高627石余)とあるが,「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では当村と東道免村との2村に分かれ記されている。文化8年の小城郡平吉郷図では,集落は水濠の周辺部にあり,北部に天神がある。文化11年の小城郡里郷之図によると,勝屋・木嶋溝両井樋筋掛の村で,南部に舎人(とねり)村より下古賀村に至る道が通り,東側は江湖堀が見える。同図には76町・625石余と付記されている。天保6年の小城郡里四郷絵図では戸数45・人口251。「元禄国絵図」によると道免村のうちの福満(ふくま)村が永田搦の南部で最も有明海に近い所に記されている。この福満村が小城郡平吉郷図では弁財搦であり,現在の弁才である。同図には西道免新村がみられ,東西に延びた大水濠の南側の平坦地に当村から移住して集落を形成したと推測される。文化11年の小城郡里郷之図によれば,この新村も勝屋・木嶋溝両井樋筋掛の村。「明治7年取調帳」では中溝村の枝村として,「郷村区別帳」では東道免村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」では道免村のうちに「西道免村」と見え,戸数27・人口120。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218063