100辞書・辞典一括検索

JLogos

9

西吉田村
【にしよしだむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。塩田(しおた)川の支流吉田川左岸の山地に位置する。地名の由来は吉田郷の西部に位置することにちなむ。大部分は蓮池(はすのいけ)藩領だが,枝村赤新(仁)田(あかにた)村の一部が佐賀本藩領で鍋島伝兵衛の知行地。吉田郷に属す。村高は「正保国絵図」では260石余,「天明村々目録」では261石余,「天保郷帳」では306石余。「旧高旧領」には見えない。文政12年の庄屋給米は6升4合,枝村赤仁田村3升4合,枝村皿屋村9升3合(西目村々庄屋給米其外御定渡控帳)。嘉永5年の吉田郷図によれば,吉田川左岸,吉田皿山の西に位置し,四方を山で囲まれている。南部には畑地が多く,北部に田地が広がる。平坦地の中央から南へかけて40軒ほどが散在。その一角に寺院,また集落の南隣および西の山中に堤が見える。西端の山中に権現がある。当村は高台に位置するために吉田川からの取水ができず,延宝5年竣工の湯岳(ゆだけ)堤,延宝2年竣工の赤仁田堤(嬉野町史),権現堤などの溜池より取水している。天保13年の用水割当約定書には,西吉田村庄屋定蔵・皿屋村庄屋庄兵衛・赤仁田村庄屋弥平次・大庄屋森永嘉兵衛の名が見える。寺院には,初代蓮池藩主直澄が建立して隠居所とした医福寺があったが廃寺となり,その跡に真言宗大覚寺派大定寺がある。神社には,直澄を祀り陶器業者の尊崇をうける吉浦神社(塩田吉浦神社分祠)がある。民俗芸能に踊浮立がある。「明治7年取調帳」によれば吉田村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,吉田村のうちに「西吉田村」と見え,戸数61・人口297。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218093