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袴田ケ里村
【はかまだがりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。袴田刈とも書く。佐賀平野北西部,祇園(ぎおん)川沿岸に位置する。小城藩領。五百町(いおまち)郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに178石余,「天保郷帳」では188石余,「旧高旧領」には見えない。神社は山王神社。当村には五百町郷・北郷・三ケ月郷を合わせた北郷大庄屋犬山氏の屋敷があった。明治元年の庄屋は兵蔵(犬山家文書)。「明治7年取調帳」では岡本刈の枝村に見え,「郷村区別帳」では織島刈の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば,織島ケ里のうちに「袴田ケ里」と見え,戸数24・人口128。なお「小城郡村誌」によれば,明治4年上織東分・上織西分・岡本分・下織分・深川分・赤司(あかじ)分の6か村と合併して織島ケ里となったという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218141