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白蛇山岩蔭遺跡
【はくじゃやまいわかげいせき】


伊万里(いまり)市東山代町脇野にある遺跡。国見(くにみ)山麓の裾野標高約100mの地点に位置し,砂岩が風化作用によって形成された上洞と下洞からなり,遺物は上洞から出土している。この地は室町期から真言宗の寺院が存在していた所で,現在でも遺跡の中央部には小さな「御堂」が設けられ如来座像が安置され,岩壁には磨崖仏や五輪塔が彫りこまれ,密教寺院跡の面影を残している。上洞は,最大奥行6mと比較的浅く,横幅が約40mある間口の広い岩陰で,東南方向に向いて開口している。遺跡は昭和43年4月地元民によって発見され,同年9月に遺物と層位の確認のため予備調査が,同46年7月と同48年2月に発掘調査がそれぞれ実施された。その結果,13層までの層位が確認され,2層から9層までが縄文時代各期の地層で,10層は落石の最も多い無遺物層,11層から13層までが旧石器時代末期の地層である。13層の下部がこの「岩戸山」を形成している砂岩の基盤層で,地表より約3.5mの深さである。2層から9層までの層は,上部から縄文時代後期から晩期に編年される磨消縄文を有する御領系土器や縄文時代最後の土器である夜臼系土器が出土し,これらの土器群に伴って黒曜石製の刃器や剥片鏃が多く出土している。縄文時代の中位の地層からは,前期の曽畑系土器や中期の阿高系土器が発見されているが,その出土量は少ない。下位の地層,特に9層からは,早期の押型文土器や条痕文土器,さらに9層の下部では西有田町の盗人岩洞穴から発見されている同一文様のクシ目文土器が出土する。このクシ目文土器の出土例は少ないが,始源期の土器群の1つとして注目される。無遺物層の10層は,上位の縄文時代と下位の旧石器時代とを明確に分離する地層で,地殻の変動を表す砂岩の落石が多い。土壌の科学分析の結果,生活痕が検出されていない。11層から13層までは,旧石器末期の所産である細石核と細石核から作り出された細石器や尖頭状石器が出土している。このことから,この洞穴の使用開始は縄文時代直前の旧石器時代末からであることが推定されるとともに,石器製作に必要な黒曜石の原石の入手に容易な所であるところから,生活を営む環境として最適であったと考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218146