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東ノ原村
【ひがしのばるむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。東原村とも書く。多久(たく)盆地の西南部,鬼ノ鼻山北麓の山あいに位置する。北部を牛津(うしづ)川が東西に貫流している。佐賀本藩領。上多久郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに231石余,「天保郷帳」では285石余,「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ではともに下靏村の小村として見える。江戸前期には上多久のうちとして把握され,中期に西ノ原村と分けられる。また「丹邱邑誌」では郭内東原と記されている。同書によれば,文政6年の戸口は85戸・346人,僧8,山伏2,馬14。寺院は真言宗杉尾山聖光寺。多久聖廟,東原庠舎が南部山腹にある。灌漑用の小堰が北部,牛津川沿いにあった。当村は江戸後期に多久町に吸収されたものと思われる。ただし,「明治7年取調帳」では横山村の枝村として見えるが,「郷村区別帳」では多久町村の枝村として見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218353