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平倉里
【ひらくらり】


旧国名:肥前

(古代)条里の里名。正平12年10月25日付れん与譲状案に「ゆつりあたふふちわらのちやうめい丸かところに,ありひセんのくになかしまのしやうくちふるのうちひらくらかりわうハな四たん,田四反,なかいけのあんへいその,たちはなその二かその事」として「くちふるのうちひらくらかり」と見える(橘中村文書/佐史集成18)。また,応永5年閏4月16日付吉見禅正少弼書下案に「肥前国長嶋庄久地布留村内葦原平倉内孫次郎公明知行分跡拾町事」とあり,また同18日の「ひせんのくになかしまのしやうくちふるの村,あしハらひらくらの内,くちふるのまこ四郎公明ちきやうふん,中村のハう丸さうてんにまかせて,田地十丁あんとをなさるゝ上ハ,地下をうちわたすところ如件」として,「久地布留村内葦原平倉」の名が見える(橘中村文書/佐史集成18)。ここに見える「久地布留村」は鳴瀬山の北方,六角(ろつかく)川右岸の現在の北方(きたがた)町の内にあたると推定され,鎌倉期建治3年12月20日付十町分地頭・領家田地屋敷注文案に見える「加井良井里」とほぼ同一の地域を指すものと推定される(服部英雄氏/史学雑誌)。「久地布留村」については,南北朝初期,建武4年頃のものと思われる橘薩摩一族所領支配注文にも「下村」のうちに「弥次郎久治布留 十品」として記されている(小鹿島文書/佐史集成17)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218435