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船石村
【ふないしむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。三根(みね)郡のうち。筑後川の支流切通川の上流域に位置し,北に鎮西(ちんぜい)山・鷹取山を望む。佐賀本藩領。綾部郷に属す。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ともに194石余,「天保郷帳」では202石余。「旧高旧領」には見えない。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では勝屋五郎右衛門33石余,「大小配分石高帳」では鍋島六郎兵衛45石余・生野次郎兵衛28石余・古賀清兵衛20石・野崎新之允11石余・江副安兵衛6石余・三上新九郎5石・石井源右衛門5石・有田伝蔵5石。庄屋2名は2人の配分主(給人)から給米を支給され,点役庄屋がいた(上峰村史)。享保9年切通川支流道場川の水分けをめぐって養父(やぶ)郡原古賀村との間に用水争論が起こった。水論は弘化3年にも切通川支流大谷川の水分けをめぐって当村および堤新宿と養父郡高柳村との間で発生している。山は鎮西山北部の草山を当村と出来町村(切通村)・堤村・屋形原村,神埼(かんざき)郡石動上村・石動下村・大曲村,養父郡高柳村の8か村で請山としていたが,宝暦6年と文政4年に草山をめぐる争論が起きている。鎮守は菅原道真を祀る天神社。その境内には船石と呼ばれる船の形をした扁平な巨石があり,神功皇后が朝鮮出兵の帰路当地に上陸した時に船が石と化したものと伝え,村名の由来はこれにちなむという。寺院は浄土宗船石山西蓮寺がある。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに堤村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」では,堤村のうちに「舟石分」と見え,戸数32・人口171,明治11年には船石小学校があり,堤小学校とも呼ばれた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218553